織笠 裕美さん 34歳
Profile
茨城県東海村出身。茨城県立東海高等学校卒業。茨城キリスト教大学在学中に、水戸芸術館の演劇スクールに入り、演劇活動を始める。大学卒業後、東京の演劇学校で1年学んだ後水戸に戻り、パフォーマンス集団キミトジャグジーで本格的に女優として活動。現在は劇団の製作も務める。
ーQ.織笠さんが演劇を始めたきっかけはなんですか?
ーA.水戸芸術館のお芝居に感動した大学1年のときです。
その後、演劇学校で運よく大きな役を頂き、経験者の方を納得させるためにも真剣に取り組みました。卒業後は上京しましたが、1年で水戸に戻ろうと決めてました。自分が育った街、育てられた街なので。
ーQ.東京にはない、茨城や水戸の良さを教えてください。
ーA.やっぱり、お客さんの温かさです。
水戸で立ち上げたパフォーマンス集団『キミトジャグジー』のお客さんは8割がリピーター。厳しい指摘をする方も、ずっと観に来てくれるんです。
そんな人に褒められる嬉しさは大きいですよ。
ーQ.『キミトジャグジー』はどんな劇団ですか?
ーA.うちの劇団は、演劇を観たことがない人でも楽しめるような芝居をしています。
初心者の方にも楽しんでもらって、他の演劇を観に行ってくれるきっかけになればと思って。だからパッと見て派手で格好いい感じにしてますね。うちはやり方が汚いんですよ、ダンスも入れるし歌も入れるし(笑)。演劇にちょっと反してる部分もあるんですけど、それでも楽しければいいんじゃないかなって。
ーQ.活動の中で気をつけていることはありますか?
ーA.不安そうな顔をしないこと。
私が不安になってマイナスなことを言うと、下の子が気にするし、雰囲気が悪くなってしまうので。イレギュラーなことが起きても、動じないっていうのはすごく気をつけてます。
ーQ.結構ハプニングはありますか?
ーA.ありますよ。本番前に小道具全部盗まれたことがありました。
リハーサルの夜に車ごと盗まれて、小道具が全部ない状態で、本番2日後って状況でした。
恐ろしかったですね。そこから作れるものは作って、他の劇団に「貸してください」って問い合わせて…。
でも逆に、「もうこれ以上のことはないだろう」と気が大きくなっちゃって。新聞にも事件が載ったおかげで満席で立ち見まであって、全然大丈夫でしたけど(笑)。
ーQ.劇団員の方は、他にもお仕事をされてるんですか?
ーA.そうですね、私はコワーキングスペース水戸というところで普段はスタッフをしていて、終わったら稽古に行ってます。
職場の方も理解がある方なので、本当に恵まれたなと。福祉会館やホテル、スーパーで働いている人、学校の先生…みんなちゃんと自分の生活があって、その中で集まってやってます。
団員の仲はすごく良いです。皆で遊びに行ったり、ご飯食べたり。帰宅したらメンバーがいて、冷蔵庫の中を勝手に食べられていたこともありました(笑)。小道具や衣装を置く事務所として一軒家を借りていて、疲れたときはそこに皆で寝泊まりしちゃうこともありますね。
ーQ.新しいメンバーもいるんでしょうか。
ーA.今は若い世代も育てたいと思ってます。
この前の3月に、1年ぶりくらいに入った子がいるんです。今大学2年生なんですけど、高校1年のときからずっとうちに入りたいって言ってて。そう言ってくれる子のためにも頑張らなきゃなって思います。
ーQ.下の世代にアドバイスをお願いします。
ーA.世間の評価を信じない方がいいよって言いたいです。
自分の目で見てから決めないと。「私が面白いと思う演劇、どうですか」って感じでいつも公演して、嬉しい意見も厳しい意見もあります。そこで厳しい意見を参考にする方が長く続く。褒められて満足すると終わっちゃうので。
ーQ.10年後どこで何をしていたいですか?
ーA.最終目標は演劇で飯を食っていくこと。
そのために企業とコラボしたり、異業種交流会に行ったり…模索中です。水戸に小劇場をつくって、人が集まる場もほしいですね。今後は意地悪おばあさん役とかもやってみたいです。下の世代と水戸の演劇を盛り上げていきたいですね。
《 茨女レポーターVOICE 》
挑戦することをためらう人には、「とりあえず1回やってみたら?と言いたいです」と話す織笠さん。「出産や育児が大変なときは無理せず休んで、後で戻って来ればいい」ともおっしゃいました。気負わず楽しく、でもやるときは真剣に。そんな緩急をつけられるからこそ、10年間演劇に打ち込めるのだなあと感じられました。 (茨女レポーター:外間 花怜)