廣木 葵さん 22歳
Profile
小美玉市出身。 私立水城高等学校卒業後、桜美林大学に進学し、芸術文化学群演劇・ダンス専修所属。
小さい頃から 女優になるのが夢だった。 背中を押してくれた母の言葉
「小さい時から女優になることが夢でした。きっかけは小学1年生の時に友人の演劇を観に行ったことです。それから自分でも地元の住民劇団のミュージカルに出演したりして、演劇の素晴らしさにどんどんのめり込んでいきました。しかし、恥ずかしがり屋で、言いたいことがうまく伝えられないタイプだった私は女優になりたい!という夢は誰にも言わずに、無理だと決めつけていました」
廣木さんは中学生の時バレー部に入り、部員50名をまとめる部長をしていました。高校では陸上部に入って勉強も部活も演劇の稽古もこなし、遊ぶ暇がないくらい忙しい。しかし、弱音も周囲にもらさない。「中途半端なやつとは思われたくない。全部一生懸命にやろう!」と、とにかく真面目で頑張り屋さん。
廣木さんが女優になることを決めたターニングポイントは、高校生の三者面談でした。
「当時は女優の夢は片隅にありつつも、バレー部や陸上部の経験から高校3年の夏まで体育の先生になろうと思っていました。そのため体育大学に行こうと思っていたのですが私はなんだか違和感を覚えていて…これでいいのか?と。体育の教師になることで話が進んでいましたが、女優になる夢を諦めたくなかったんです。三者面談の帰り道、母が『自分のやりたいことやっていいよ』と言ってくれて、一気に素直な気持ちでいこう!と他の大学を探し始めました。次の日から担任や顧問の先生、学年主任の先生まで説得しに来ましたが、どうしても揺るがない私の気持ちに、やっと納得してくれました。
大学生になって、地元で舞台をやる時に高校でお世話になった先生方を招待しました。観た後、先生は涙を浮かばせて、握手しながら『廣木から演劇の道を奪わなくて本当に良かった。これがお前の進むべき道だったって確信したよ。応援しているからね』と言ってくれました。
あのとき、自分の道を選んで本当によかったと心から思います。それができたのは理解ある親と、今まで全力で全てを両立させてきた自分がいたからだと思っています」そこには覚悟を決めて、自分の道を迷わず進んだことで得た廣木さんの自信と結果がありました。
たくさんの人に笑顔や 気づきを与える女優に…
「私を見た人が笑顔になれたり、他の人にはない何かを与えられる女優になりたいです。そして、テレビや舞台で活躍していたいです。プライベートでは素敵な家庭を築きたいです。まずはその前に夢をきちんと叶えたい!それが親孝行になるはず」。
茨城県、地元で 演劇のプロデュースをしたい
廣木さんが、生まれ育った茨城県にどのような想いを馳せているのか聞いてみました。「茨城県で好きな場所は千波湖です。春には桜が満開になり、高校生の頃、部活の練習場所だったので思い出があります。
芸能活動を続けて、夢を叶えて、後々はプロデュースする立場になり、演劇を身近なところに感じてもらえるように、いつかは自分の劇団を持てたらいいなと思っています。そして、少しでも茨城県に貢献できたらという想いもあります。
みんなが憧れる「あおちゃん」になって、私を支えてくれた家族や友人、恩師の存在、応援してくれている人々がいる茨城、文化や魅力が溢れる茨城がたくさんの人の目に止まるように、茨城県の魅力を伝えていきたいです!」女優としての志を胸に、地元を離れても自分が育った土地を愛し、未来を見つめている廣木さんの瞳はどこまでも輝いていていました。
(茨女レポーター:杉山 ちひろ)