川島 飛鳥さん 24歳
Profile
ひたちなか市出身。 茨城県立水戸第三高等学校・産業能率大学を卒業後、PR活動を支援するIT企業で1年間インターンとして働く。現在は同社の正社員として、企業・団体が、自社の深い理解を生むストーリーや、日々の活動をコンテンツ化して、自社の魅力を表現していくための WEBサービスを提供する。
茨城、群馬、鹿児島の離島まで駆け回った川島飛鳥さん。地域への愛もありながら東京で就職した理由を聞きました。
「EXILEが好き」を原点に 進路選択
「EXILEが好きで、自分もダンスがしたいと思い、水戸三高のダンス部に入部。ライブに行くことを通して東京がだんだんと身近な存在になりました。」と高校時代を振り返ります。当時はEXILEのように人を楽しませるエンターテインメントを学ぼうと、東京の大学へ。
トウモロコシの甘さに感動。 地域で感じた初めての「ワクワク」
転機は大学2年の夏。
「群馬のキャンプ場『グリーンパーク吹割』へお手伝いに行ったら、そこで食べた生のトウモロコシがほんとに甘くて美味しくて、すごく感動しちゃって。地元のひたちなかより自然が豊かなこともあり、地域によってこんなに面白さが違うんだ!とワクワクしました。」
それから地域のことを知るための模索が始まります。2年の学年末には、『島キャン』という島おこしインターンシップで鹿児島の沖永良部島に2週間滞在。食や文化も独特な離島で、なかでも印象的だったのは島の人たちでした。「短い滞在なのに島の人がすごく良くしてくれたんですよ。幼い頃、学校帰りに地域の人と『こんにちは』って言ってたような雰囲気が純粋に残ってて懐かしくなりました。昔ながらの人との繋がりや、住む人の想い、文化……私が感じた、地域のワクワクを多くの人に伝えたい!と思ったんです。」
東京で就職したのは 「武器がほしかったから」
それから様々な地域を訪れますが、最終的に東京で就職することに。
「知識や経験が偏ったまま地域に飛び込めないと思ったんです。」 そう話す川島さんは大学4年の頃、奄美群島の写真展と物産展を行った際に、「収益も少ないし自己満足なのでは」と葛藤があったのだそうです。「私はよく『魅力を発信したい』と言っていたけど、PRのことを何も知らなかった。PR会社で発信を学んで自分の武器にしたいと思いました。」
そうして企業のPR活動を支援するIT企業を見つけ、2017年4月からインターンとして働くことに。「当時はSNSで企業・団体様のストーリーを紹介してましたが、要点をまとめて書くことに慣れていなくて心が折れそうでした。」どう乗り越えたのか尋ねると、「自分で頑張ると決めたことなので、逃げないようにしようと思ってました。でも、やってみて違うと思ったら辞める選択肢もある、辞めたからどうこうって時代でもないと思います。」と力強い励ましをくれました。
「半年後、他の人に教える立場になってやっと手応えを覚えました。」 現在は正社員。企業へのヒアリングで様々な働き方を目にし、職業観も深まったそうです。 「仕事を決める際にやりたいことがわからなくてもいいんです。やりたいことより、自分の大切にしたいことを尊重できるかだと思います。余暇やお金、職場の雰囲気など、何を大切にしたいか明確にして、どんな会社が合うか考えたらいいと思うようになりました。」
地域にいつか活かすために
東京で働いて「武器」は得られたのでしょうか。「企業のPR活動は、地域で活用できることばかりです。『PR=パブリック・リレーションズ』は、『かかわる人々との良好な関係を築くこと。』地域なら、住む人と自治体との接点づくりや、外への魅力発信など…単に伝えるだけでなく、行動につながる伝え方を学んでいます。地域での活かし方は正直まだ明確ではありませんが、今は吸収する時期だと思っています。」
プライベートについては、「30歳くらいには結婚・出産して、子どもとこれまで訪れた地域を回りたい。そのためにも、20代は仕事を一生懸命やりたいですね。」とパワフルな答えが返ってきました。
最後に後輩へのメッセージをお願いしました。「自分で決めることは大事にしてほしい。その方が頑張れるし、楽しめる気がします。あと、私が先輩にお世話になったので循環させたい。茨城の後輩たち、いつでも連絡ください!」 決めつけすぎず、でも大切な選択は自分で決める。その柔軟性と行動力が、20代ならではの川島さんの持ち味なのだと感じられました。
(茨女レポーター:外間 花怜)