高木 真矢子さん 31歳
Profile
常陸太田市出身。 茨城高等学校卒業後、21歳で長男を出産。現在はフリーライターとして活躍するほか、子役マネージャーや企業の資料作成サポートをするなど活動の幅を広げている。
茨女のメンバーでもある高木さんはさまざまな顔を持っています。仕事をマルチにこなす働きマンになることもあれば、こどもの夢を応援する母にも変身します。ワークライフバランスやパラレルキャリアが注目を集めるこの時代に、「自分らしく生きる」コツをお伺いしました。
ライターを中心に幅広く活動 何でも挑戦できる理由
高木さんは、フリーライターとして水戸経済新聞やクルールいばらき、読売新聞タウンリポーターなど、さまざまな媒体で記事を書いています。また、企業の資料作成サポートや子役であるお子さんのマネージャーも務めています。
昔から思い立ったらすぐ行動したり、情報収集が好きな性格でしたが、それは両親の影響が強かったと話します。「母親が学習塾の先生で人と関わる機会が多かったため、私のやりたいことはなんでもチャレンジさせてくれました。父は会社員で、陰ながら私を支えてくれました。対照的な母と父ですが、そんな両親に育てられたからこそ今の私があるのかもしれません」。
自信をなくした高校時代 心身ともに疲れていた
パワフルな高木さんですが、高校時代は心身ともにしんどかったと当時を振り返ります。「それまでと変わらず、何でも挑戦させてくれる環境でしたが、いわゆる進学校に通っていたこともあり、いつしか自分とまわりを比べるようになりました。そのせいか一時期自己肯定感も低くなりましたね」。
その後、部活の延長でラジオ制作に励んでいたこともあり、職業訓練校に進学し、都内に上京する道を選びます。しかし、心と身体は思うようについてはいかず半年後には地元に戻りました。
父の余命宣告と 自分の結婚で気づいたこと
苦悩の日々を過ごした10代後半。しかし20歳の頃、大きな転機が2つ訪れました。1つは父親が余命宣告を受けたこと。もう1つは当時お付き合いしていたご主人と父親の余命宣告を機に結婚をしたことです。「大学進学が一般的な高校に通っていたにもかかわらず、進学をしなかった私に対して何も言わず最後まで見守ってくれました。父の頑張りもあり、半年の余命宣告を乗り越え無事に孫の顔を見せることができたときは、とても安心しましたね」。
この出来事で、両親やご主人、こどもたちをはじめ数多くの方に支えられていたことに気付いた高木さん。自分を認めることで、再び社会と関わるようになりました。その後は持ち前の行動力を発揮。たまたま読売新聞のタウンリポーターの記事を見かけ、水戸支局に直接電話しリポーターを志願しました。その後高木さんの熱意は無事に届き、ライターとしてデビューしました。
子どもの夢を支援する
現在はお子さん2人とご主人の4人暮らし。「自分が周りの人に支えてもらったように、今度は私がこどもたちを応援したいです」。と母としての思いを語りました。「娘が自分からお芝居をしたいと言ったときは、地元の制作会社に問い合わせをしたり、息子は小説を書くことが好きなので話がまとまったら業者に頼んで製本してあげたいと思っています。こどもたちのおかげで毎日が充実していますが、それができるのも主人のおかげ。夫として厳しい指摘もしつつ、私たちを常に応援してくれています」。
高木さん曰く「人生はいくらでも巻き返しがきく」とのこと。人と比べた結果、自分を見失う恐れもある。それでも、たくさんの出会いに感謝をすることで自分を認められるようになりました。「自分らしく生きる」ためには「今の自分を受けいれる」ことが大切なのかもしれません。
(茨女レポーター:高橋 舞)