柴田 美咲さん 27歳
Profile
日立市出身。茨城県立日立第二高等学校を卒業後、東京女子体育短期大学保健体育学科に進学。卒業後、地元である日立市にUターンし、日立メディカルスパスポーツジムのインストラクターとして勤務。その後、フリーランスインストラクターとして日立市・大子町の施設やイベントの講師として活動しながら地域活動にも従事する。「ひたちのまちあるき」「まちキレイ隊」主宰。
ーQ.お仕事について教えてください。
ーA.フィットネスインストラクターとしてヨガ、ストレッチ、エアロビクスなどのレッスンを担当しています。
また、仕事の傍ら、地元日立に人と人が繋がる場をつくりたいという思いを胸に、様々な地域活動に参加しています。
参加者を募ってまちあるきツアーを開催する「ひたちのまちあるき」の主宰や、Webメディア「茨城県北クリエイティブプロジェクト」でライターとして活動するなど、積極的に地域と関わるようにしています。
大学卒業後と同時に地元日立に戻り、しばらくはスポーツジムに勤務していましたが、現在は会社をやめフリーランスとして活動しています。
ーQ.スポーツジムをやめ、フリーランスとして転身したのはなぜですか?
ーA.会社員として働いていた時期に、地域の皆がつながる場所をつくりたいとゲストハウスを開く予定を立てていたのですが、やるなら仕事よりもそっちのほうに本腰を入れていきたいと考え、思い切って仕事をやめました。
結局ゲストハウスは実際に開かずに終わってしまったのですが…。路頭に迷っていた時期に「ヨガができるんだったら教室を開いてほしい」「イベントをやるんだけど、ヨガをやってくれない?」と声をかけられました。当時はゲストハウスを開かないと地域の繋がりの場はつくれないと思っていましたが、声をかけられてから、自分ができることを活かして地域の繋がりの場をつくっていきたいと思うようになり、フリーランスに転身しました。
ーQ.東京の大学を卒業後、日立にUターンした理由は何ですか?
ーA.大学進学で都内に出る時に、父親に「卒業したら茨城に返ってきて」と言われていたので、約束を守りそのまま日立に帰ってきました。
あとは、海の近くに住みたいなというのはありましたね。
ーQ.フィットネスインストラクターになりたいと思った経緯を教えてください。
ーA.特に運動に関して苦手意識がある方へ、運動の楽しさを伝えたいと思ったのがきっかけです。
小さい頃から体を動かすことは好きだったのですが、足も遅いし、運動神経は良くなかったんです。なので、同じような経験をした人や運動が嫌いな人に向けて、運動が楽しくなるような提案をしたいと思ったのがきっかけです。
スポーツというと、上手くなるために練習しましょう!というイメージが強いと思います。そうではなくて、苦手な人に寄り添いたい。そう考えた時に、一番合っている職業がインストラクターだったんです。
ーQ.多数の地域活動を主宰されていますが、なぜ地域のために何かをしたいと思ったのですか?
ーA.沖縄の島へ旅に出た時、旅先で出会った人たちがその土地にあるものをすごく大切にしているのを見て、自分自身も地元日立を見つめなおすきっかけとなりました。
旅先の人も本当に良くしてくれて、受けた恩を自分はどう返したらいいんだろうと考えた時に、旅先の経験を地元に還元したいなと思ったんです。
それまでは地元のことも「何もないじゃん」と思っていたのですが、旅をきっかけに、よく見たらいっぱいあるじゃんと(笑)。
当たり前になってしまっているから、自分の地元の魅力に気づいていなかったんですね。当たり前だから、すぐそこにあるものだから、全然海を大切にしていなくてごみをポイしちゃう人もいる、それがちょっと悲しいなと思って、海岸清掃活動「まちキレイ隊」は始めました。
《 茨女レポーターVOICE 》
柴田さんにとって日立の海とは?という質問に「おおらかで落ち着きます。かつ、激しくてダイナミックだから勇気をもらえます」とおっしゃっていた柴田さん。日立市中のジムに電話して求職活動をしていたというエピソードや笑顔を絶やさない仕草の一つ一つから、おおらかでバイタリティ溢れる柴田さんは正に日立の海のような方だな、という印象を受けました。(茨女レポーター:檜山 加奈)