高田 梢枝さん 33歳
Profile
石岡市(旧八郷町)出身。茨城県立土浦湖北高等学校卒業後、2004年ソニーよりデビュー。2007年ソニーとの契約終了。その後アルバイトをしながら活動を続ける。2016年10月に菊池一俊氏とプロデューサー契約後すぐにユニット『日々かりめろ』を結成。
ーQ.ご職業について教えてください。
ーA.2人組アコースティックユニット『日々かりめろ』でボーカル・ギターを担当し、楽曲制作、営業、ライブなどの音楽活動をしております。
ーQ.このお仕事に就かれた経緯やきっかけを教えて下さい。
ーA.15歳の時にミュージシャンに憧れ、20歳でメジャーデビューするも、3年後に契約終了。それでも夢をあきらめられず、活動するも鳴かず飛ばず。そんな中、映画の挿入歌の依頼で映画プロデューサーだった菊池一俊さんに出会い、2016年10月、総合プロデューサー契約を結びました。
その2週間後に私からユニット結成をお願いし、日々かりめろとして現在に至ります。
ーQ.やりがいはどんな時に感じますか?
ーA.ライブ中にお客さんが笑顔で楽しんでくれている時やCDやチケットが売れた時です。
以前は小さいライブハウスで、少ないお客さんの前でライブをして、自己満足みたいな活動でごまかしていて、一部の層のファンの方にしか響かず悩んでいました。
しかし、今はいろいろな所でライブをさせていただくようになり、女性やお子さん家族みんなでライブに来て応援してくれます。15歳の時の自分がイメージしていた、色々な年齢層の方に支持してもらえるミュージシャンになれて嬉しいです。初めての経験、やった事をない事をして成長していけるところにもやりがいを感じます。
ーQ.ターニングポイントになった出来事やエピソードがあれば教えて下さい。
ーA.2016年、自分なりに故郷を盛り上げたいと音楽イベントをやるも、大失敗してしまいました。どうしようもなくなっていた時に、菊池さんに相談したところ、「こんなになるまで何やってたんだ!」と怒りながらも、あらゆる面からサポートして頂いたんです。それがきっかけで、音楽活動のことも相談するようになり、日々かりめろのユニット結成に至りました。
ソロで活動している頃は少ないファンに囲まれて、居心地が良いところだけに居るようにして、実際は全然売れていない事をごまかすような活動をしていました。
しかし、菊池さんと活動してからは、以前の活動はミュージシャンによくある「甘え」だと気づきました。ちゃんと努力をして、まずはたくさんの人に聞いてもらうためにこちらから出向かないと、結果には結びつかないし、絶対に売れないんだと思うようになりました。
それからは、ライブと営業の毎日です。2017年2月にCDを出してから、2ヶ月間で150ステージ以上のライブをしました。今でも週末は関東を中心に甲信越、東北までライブを行っています。
ーQ.ミュージシャンのという職業のいいところ、自慢できるところは何ですか?
ーA.たくさん働いた分、楽しいことや成果が目に見えて現れる所。
そしてなにより、ステージに上がれるということ、自分の歌を聴いてもらえる場所があることです。「誰もやってない事を自分達がやろう!」というスタンスで、2人で積極的に仕掛けていけるのも魅力です。
ーQ.「人生を豊かにする」うえで、あなたが日頃、大切にしていることは何ですか?
ーA.「人からもらった恩は3倍で返す」これは菊池さんの言葉で私も大切にしている言葉です。
今までは自分では意識していなかったことなので、これを意識してライブの拍手1つにも感謝をする気持ちを改めてもったり、ファンや日々かりめろの音楽を聴いてくださる皆様に、もっと喜んでいただけるように、一人ひとりの心に届くような音楽活動したいと思います。
ーQ.10年後、どこで何をしていたいですか?
ーA.今の活動をベースにファンを増やして、タイアップや楽曲提供で悠々自適な夢の印税生活をしたいです(笑)。
茨城を拠点にしつつ、スーパーアリーナなど日本中の大きな会場でライブをする。海外でも積極的にライブで行ってみたい。プライベートでは絵と英語を習得したいです。
《 茨女レポーターVOICE 》
やっと10代の頃にイメージしていた自分になれて嬉しい」と話す高田さん。人生のターニングポイントとなる出逢いがあり、たくさんの人に自分たちの音楽を届けるために出向き、感謝の気持ちを忘れないで夢に向かって努力すれば結果になる。未来に向かって諦めない事の大切さを改めて彼女に教えてもらっいました。今後も高田さん、日々かりめろから目がはなせません。(茨女レポーター:杉山 ちひろ)